続×4undertale考察
さあ 今度こそ本当に終わったぞundertale!(^皿^;)ノ
最後にやり残した事 ソーソーリーに会う!
10月10日は ラスボス倒し済みで会えなかったので
もう一回Pルートをやり直して会ってきた
本当はPCのカレンダーいじらずに
10月10日に会いたかったけど
一応 ちゃんと待ったからいいよね(^ω^;)
あ~・・・いろいろあった後の
この場面は泣けるわ・・・
ちゃんと見てくれてるんだね・・・(T∀T;)
そのセリフ そのまま返すぞ!
ありがとうソーソーリー!!(人∀T;)
そして またプレイしながらいろいろ思う・・・
Nルートのラスト
あれって主人公 地上に戻れてなくないか?σ( ̄ω ̄;)
アズゴア王のソウルはフラウィーにこっぱみじんにされてる上に
その後 けっこう長い時間フラウィーと戦ってる・・・
しかも 主人公が王のソウルを手に入れた描写もない・・・
モンスターのソウルを持たずに結界に突っ込んでるんじゃ?
そして その後の電話はサンズからかけてきた上に留守電
あの 結界の出口に電話だけが落ちてる絵が浮かぶ・・・( ̄▽ ̄;)
undertaleをひとしきりやった後の感覚って
ドグラマグラの読後感に似てる、と思ってたけど
undertaleって 入口と出口が同じなんだよね・・・
Nルートでは地下から出られずに
スタート地点に戻っただけなのかもしれない(^ω^;)
ちなみに undertaleのホームページ英語版
ここのABAUTページには「戻る」ボタンがなく
一度入ったら出ることができない、という仕掛け
これ このページに限らず
このゲーム自体を表してるのかもしれないなぁ(^皿^;)
最後だからついでに キャラについても書いておこう( ̄ω ̄)
なぜ ストーリー上ではプレイヤーと同じ名前のはずの
最初に落ちた人間の本当の名前は「キャラ」か?
私が考えるに「誰も死ななくてもいいRPG」であるundertaleにおいて
Gルートでプレイヤーがみんなを殺す、という
undertaleのストーリーを完全に否定する行為を行うことで
「最初に落ちた人間」はストーリーから乖離する
そして 完全にundertaleの世界がなくなったときに
「最初に落ちた人間」という設定からも離れた彼or彼女は
「ただのRPGの主人公」という「キャラクター」になるのではないか、と。
「chara」はアイルランド語で「友達」という意味もある
実際 プレイヤーがGを完遂した時点で
自分の存在を認識してるのはキャラ一人になる
唯一の友達であり相棒、という意味もあるのかもしれない(^ω^;)
このゲームにおいて 「ソウル」「タマシイ」と
「決意」「ケツイ」の関係性って
道教における「魂」と「魄」の関係性みたいなものなんだろうな
フラウィーやキャラは魂がなくて魄だけがあったから
ああいう状態になったんだろう
そして総プレイ時間 134時間!!
やり込むにもほどがある!!( ̄▽ ̄;)
トビーさんよ・・・どうやったらこのゲームを
6時間で終えられるっていうんですかーい!?(T∀T;)
しっかし このゲームをプレイできて本当によかった!
今まで遊んだゲームの中で最高傑作と言ってもいいかもしれない
教えてくれた中学生のネッ友に感謝!(^皿^;)
そして最後に 心に残った場面
こんなところで泣かされるundertaleはやっぱりすごい
Gルート中断帰りにはめっちゃ響いた!(T∀T;)